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有形文化財

随身像とは、日本古来の神道の神々の像のひとつです。本来、神道は偶像を持たないのが普通で、石や鏡などを御身体としてしていましたが、8世紀頃から神仏習合の思想により仏像にならって神像が作られるようになりました。
 随身とは、本来摂政関白などの身辺警護に当る武官を指しここで言う随身像は、神を警護する近衛の像とし見てよいでしょう。倚像とは、本像のように椅子にかけて両足を下に垂れた姿の像を言います。
 古い方の1躯は総高74.5cm。挿首内や胴部の内側に墨書があり、元応元年(1319)因幡法橋応円の作であり、小野神社造立当初からこの社に安置されていたものと考えられます。その後寛永5年(1628)鎌倉仏師大弐宗慶により修復された際に新しい1躯(総高52.3cm)も制作されたものと考えられます。
 どちらも檜材、寄木造、胡粉地に彩色が施され、頭部は挿首、玉眼。昭和50年(1975)に2躯ともに修理されています。室町時代以前の随身像は、都内では資料が少なく貴重な文化財です。
(出典:東京都文化庁)

(境内設置資料より出典)
武蔵一宮小野神社については現存する資料が極めて乏しい中で、昭和四十九年にこの随身倚像に墨書銘があることが発見された。
墨書銘によれば、この二体のうち古いほうの随身倚像は、元応元年(1319)因幡法橋応円・権律師丞源らにより奉納されたもので、その後、寛永五年(1628)に 相州鎌倉の相州鎌倉仏師大弐宗慶法印によって色彩などの補修が行われその際新しい法の像が新調されたことを伝えている。
どちらも檜材、寄木造、胡粉地に色彩が施され、頭部は挿首、玉眼。
都内では、室町時代以前の随身像は数少なく、また武蔵一宮小野神社の歴史を伝える数少ない資料のひとつとして貴重な文化財である。(東京都教育委員会)